2024年6月30日(日)

曇り。水無月祓である。

米澤穂信『インシテミル』は、なんとも不思議な、そして定番のミステリイであった。ようやく読み終えることができた。解説を除いて513ページある。

  昨夜降る雨に下垂るあけぼの杉葉々しほらしく幽霊のごと

  幽霊の手を下げるさま真似たるかあけぼの杉の萎れたるさま

  皐月つつじさんざんに枝刈られたり葉のなきところすかすかの枝

『論語』子罕一二 孔子の疾、病なり。子路は門人を臣たらしむ。病、間なるときに孔子が言った。「長いことだね。由の詐りを行なうや。臣なくして臣ありとする。吾れ誰を欺かむ。天を欺かんか。且つ予れ其の臣の手に死なむよりは、むしろお前たちの手で死にたいものだ。立派な葬式はしてもらえなくとも、道端でのたれ死になどするものか。」

  ひとたびは孔子治りてよからむか子路の(いつわ)り孔子を重くす

『正徹物語』178 「人妻を憑む恋」とは、他人の妻に懸想することである。源氏物語の空蟬・浮舟などが題材としてよいであろう。
・身をうぢと憑み木幡の山こえて白浪の名を契りにぞかる 草根集4543
と詠んだ。

  宇治に潜むをみなのもとへ木幡山越えてゆきけり恋ほし恋ほしき

『百首でよむ「源氏物語」』第四帖 夕顔
・心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花 夕顔
・寄りてこそそれかとも見めたそかれにほのぼの見つる花の夕顔 光源氏
 夕顔をとり殺してしまった物の怪、六条御息所だろうか。
・過ぎにしもけふ別るるも二道に行くかた知らぬ秋の暮れかな 光源氏
 空蟬は、夫に従い伊予に下ろうとしているし、夕顔は死なせてしまった。

  死なせたる夕顔おもひわが手より離れし空蟬をおもふ秋なり

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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