2024年6月29日(土)

朝、小雨。後曇り。今日は妻が64歳になる日だ。

  生誕の日を寿ぎての贈り物ただのチョコレート感謝のしるし

  ほほ笑みてチョコレート口に含みたり甘さが溶けて至極の味なり

  お互ひに年経たるものいつのまにか老婆、老爺に化けて出るごとし

『論語』子罕十一 顔淵、喟然として嘆じて言った。「仰げば仰ぐほどいよいよ高く、きりこめばきりこむほどいいいよ堅い。前方に認められたかと思うと、ふいにまたうしろにある。夫子(孔子)は、順序よく巧みに人を導き、書物でわたしを広め、礼にてわたしを引き締めて下さる。やめようと思ってもやめられず、もはやわたしの才能を出し尽くしているのだが、まるで足場があって高々と立たれているかのようで、ついてゆきたいと思っても手立てがない。」

  顔淵はもうお手上げの状態に孔子は遠く天の上なる

『正徹物語』177 二十首・三十首のように、数の少ない続歌を詠むには、構成を練って詠ませるようにするため、結題を出し、五十首や百首など、歌数を多く詠むときは、一字題・二字題を出すのがよい。

  二、三十首は数は少ない五十首・百首は数多いそれほど違ひがあるとは思へず

『百首でよむ「源氏物語」』第三帖 空蟬
・空蟬の身を変へてける木のもとになほ人がらのなつかしきかな 光源氏
・空蟬の羽におく露の木がくれて忍び忍びに濡るる袖かな 空蟬

  人がらのなつかしとこはれ忍び忍び濡らす涙を見つめられをり

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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