曇り空だ。
朝からピーチュピチュと鳴きたるは鵯が似合いの相棒さがす
このさきに鵯の相棒うづくまるピーチュと鳴けばピーチュと応ず
枝ごとに花の残滓を付けたままそのまま育つどこか汚れて
『論語』子罕九 孔子が言う。「鳳鳥至らず、河、図を出ださず。吾れ已んぬるかな。」
鳳凰は飛んでこないし、黄河からは図版も出てこない。私もおしまいだね。
現実に鳳凰飛びこず黄河から図版もいでず我もをわりか
『正徹物語』175 寝起きなどに定家の歌を思い出してしまうと、物狂になる心地がする。屈折して巧緻な風体を詠むことでは、定家の歌ほどのものはない。こういう名人の歌は、詞の外にかげがそひて何となくうち詠ずるに哀れに覚ゆるなり。六百番歌合の「猪に寄する恋」という題で、このように詠んだ。
・うらやまず臥す猪の床はやすくとも嘆くも形見ねも契りを
その意は、昼は一日中恋慕して悲しみ、嘆くことが恋人の形見である。夜も一晩中まんじりともしないので心を砕くのも、前世からの宿縁であるから、私は猪が床に臥してすやすやしているのも羨ましくはない、というのである。本当にしみじみとする内容だ。
・友千鳥袖の湊にとめこかしもろこし舟のよるのねに覚に
といえるは、
・おもほえず袖に湊のさわぐかなもろこし舟のよりしばかりに
という伊勢物語の和歌を本歌にして詠んでいる。
定家の歌に伊勢物語を詠みこみし一首ありけり港にさわぐ
『百首でよむ「源氏物語」』第一帖 桐壺(きりつぼ)
・限りとてわかるる道のかなしきにいかまほしきは命なりけり 桐壺更衣
あはれよの死にするときのとほからず光源氏をはぐくむことも