2024年6月17日(月)

雲が多いけれども、暑い。

  ふりかへるふと横をむくこと苦手にて悪性リンパ腫の後まあまあ歩く

  三千歩を歩きて帰るわが部屋に敷きっぱなしの床に倒れる

  わが前を人が通る、人がゐることに戸惑ふ歩行ままならず

『論語』泰伯二〇 舜には五人の臣下がいて、それで天下が治まった。周の武王が言うことには、「私には治めてくれるものが十人いる。」孔子が言う。「人材は得がたい、そのとおりだ。堯舜時代からあとでは、この周の初めこそ盛んだ。しかし婦人がいるから九人だけだ。文王は西方諸国の旗頭となり、天下を三つに分けて、その二つまでをにぎりながら、なお殷に仕えていた。周の徳は、まず最高の徳だといって宜しかろう。」
しかし、婦人一として外すのは、ジェンダー理論に反するような。時代でしょうか。

  周の文王至徳なり孔子称揚す人材あれば

『正徹物語』165 「巌の苔」という題で、このように詠んだ。
・乱れつついはほにさがる松が枝の苔のいとなく山かぜぞ吹く

「苔のいとなく」とは、さがり苔(サルオガセ?)は巻かれて糸が垂れるものであるから、そこで「苔のいと」と詠んだ。「いとなく」は「あしのいとなく」などというのと同じで、休みのないことである。舟子…

  乱れつつ風に吹かれてぶらりぶらりサルオガセわが行く手さへぎる

『伊勢物語』百十五段 男と女が、みちのくに住んでいた。男が「都へいなむ」と言うと女はひどく悲しんだ。せめて餞別をと思い、おきのいてみやこしまというところで、酒をふるまい、歌を詠んでおくった。
・おきのゐて身を焼くよりも悲しきはみやこしまべの別れなりけり

京へ帰る男の心だが、女に未練が残りそうだが。

  汝が胸に熾火のごとき思ひあればこの別れこそかなしきものを

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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