2024年6月16日(日)

朝は割合涼しかった。次第に気温は上がっている。

  わが家を守るヤモリの出現にへっと驚くその小ささに

  あけぼの杉も夜の雨に濡れその重さ濃きみどり葉の下垂れてゐる

  夏つばきの花もすつかり散り落ちて苔に横たふ茶に犯されて

『論語』泰伯一九 孔子が言う。「大なるかな、堯の君たるや。堂々として天だけが偉大である。堯は、それを見ならわれた。蕩蕩として民能く名づくること無し。堂々として立派な業績をうちたてた。そして輝かしくも礼楽制度を定められた。」

  いにしへの堯の業績を絶賛すこの政治この礼楽尊きものを

『正徹物語』164 「虎の生けはぎ」ということが、新撰六帖題和歌に見えている。作者の為家が大納言であったところ、さらに子の為氏が大納言に任じられようとして、この官職に欠員があれば任ずるがいまは無いので無理だという。そこで父為家を辞退させて前大納言とし、為氏が大納言に任じられた。このとき為家は自らの感慨を述べて、「虎の生けはぎ」と詠んだのである。
 「生けはぎ」には無理やり官職を奪う意もあり。

  為氏が大納言職を奪ひたり虎の生けはぎやましきならむ

『伊勢物語』百十四段 仁和の帝が芹川に行幸したとき、お供をした男がいた。男は以前、大鷹の鷹飼いだったのだが、今はもう若くはない。役からも退いている。けれど帝は、男をお供としたのだった。男は、自分の着ていた模様摺りの狩衣のたもとに、歌を書きつけた。
・翁さび人なとがめそ狩衣今日ばかりとぞ鶴も鳴くなる

ところが、帝はこの歌を聞き、機嫌を悪くしてしまったという。男が自分のこととして詠んだのに、若くない帝は、「翁さび」をあてつけととってしまった。

  翁さびはわがことならむすこしばかり若からぬ帝の勘違ひなり

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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