2024年6月12日(水)

朝から快晴。暑いくらいだ。リハビリ他、なかなか忙しい。

  青いロマスカーと赤いロマンスカーがすれ違ふ午前六時十分厚木駅あたり

  JR相模線上り電車踏み切りが鳴りわが前通る

  約十五分歩いてくれば下り線のJR相模線に踏み切り閉鎖す

『論語』泰伯一五 孔子の言。摯(魯の名音楽家)の歌いはじめ、関雎(『詩経』の最初の歌)の楽曲の終わり、『洋洋乎として耳に盈てるかな。』」

  師摯のはじめ、『詩経』関雎の終はり。洋々乎として耳にひろがる

『正徹物語』160 「富士の氷室」というのは、本歌があることなのか不審である。氷室のある場所はたくさんあるが、富士に氷室があると詠んだのは見たことがない。順徳院の御製も「富士の氷室」はない。その御製に「限りあれば富士のみ雪の消ゆる日」とあるのは、万葉集に「富士の雪はもちに消えてもちにふる」とあれば、これを「限りあれば富士の雪もきゆ」とあそばしたるなり。

さて、「冴ゆる氷室の山の下柴」とあるは、氷室のある場所に居て、富士のことを出した。心は「富士の雪の消ゆる日も、氷室はなほさむし」という御製なので、富士に氷室ありといった御製ではない。「高嶋やあど川柳」

  高嶋や安曇の川風吹きぬれば柳の枝の濡るるばかりぞ

『伊勢物語』百十段 男のもとにひそかに通う女がいた。女から「今宵、夢になむ、見えたまひつる」と言えば、男が詠んだ。
・思ひあまりいでにし魂のあるならむ夜深く見えば魂結びせよ

  夜深ければたましひ飛ぶに返りくるそのたましひを結びとどめよ

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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