朝は曇りだったが、すぐに雨に変わる。今日は一日雨空らしい。
姫紫苑さつきつつじの花に雑じり抽んでて咲く風に揺られて
雨の日は姫紫苑も皐月も濡れてゐるいつものかがやきけふは失ふ
姫紫苑の多く咲きたるところすぎふとふりかへるその白き花
『論語』述而二〇 「子、怪力乱神を語らず。」『論語』の中の有名な章句である。訳には、「怪異と暴力と背徳と神秘とは、口にされなかった」とある。これらは『論語』外である。
怪力乱神われは語らずと潔し怪力乱神こそ興味あるもの
『正徹物語』128 十訓抄は、菅原為長卿の作と思われる。為長卿は、優れた歌人で有職故実に通じ、書道にも秀でていた。官の長でしたので、文学を第一とした。面白きことを書いた書である。私も持っていたが、今熊野で焼いてしまった。
今熊野の庵炎上し幾多の書灰燼に帰すいたしかたなし
『伊勢物語』七十八段 多賀幾子という女御が亡くなった。四十九日の法要を安祥寺で行った。右大将藤原常行が、法要に参列した。その帰りに、山科の禅師の親王(人康親王か高丘親王)の邸に寄った。滝を作り、水を走らせた、趣向をこらした邸だった。常行は、「長年、よそながらおしたい申しあげていましたが、おそば近くにお仕えしたことがありません。今宵はおそばに控えさせてください」と言った。親王は喜び、夜の宴のしたくをさせた。右大将は、退出して、供のものとその夜の趣向を相談した。
「宮仕えのはじめだというのに、ただ何もせずにいていいものだろうか。以前、帝が父良相の三条の屋敷に行幸があった折、紀伊の国の千里の浜にあった石を献上した人があった、しかし、献上は行幸が終った後だった。そのまま、ある女房の部屋の前の溝のところに石は置いてある。親王は、庭園に趣向をこらす、ぜひともあの石を献上しよう。右大将は言い、武官の舎人に石を取りにいかせた。ほどなく石を持ってきた。かねて聞いていたより、石はすぐれていた。これをただそのまま献上するのもつまらない。右大将はさらに言い、歌を詠ませた。そして右の馬頭であった人の詠んだ歌を、石の青い苔にきざみ、蒔絵模様のようにしるして献上した。
・あかねども岩にぞかふる色見えぬ心を見せむよしのなければ
この馬の頭は業平かと。
苔石にしるす一首の歌を献ず皇子親王さてよろこびたるか