2024年5月7日(火)

朝は曇りだったが、すぐに雨に変わる。今日は一日雨空らしい。

  姫紫苑さつきつつじの花に雑じり抽んでて咲く風に揺られて

  雨の日は姫紫苑も皐月も濡れてゐるいつものかがやきけふは失ふ

  姫紫苑の多く咲きたるところすぎふとふりかへるその白き花

『論語』述而二〇 「子、怪力乱神を語らず。」『論語』の中の有名な章句である。訳には、「怪異と暴力と背徳と神秘とは、口にされなかった」とある。これらは『論語』外である。

  怪力乱神われは語らずと潔し怪力乱神こそ興味あるもの

『正徹物語』128 十訓抄は、菅原為長卿の作と思われる。為長卿は、優れた歌人で有職故実に通じ、書道にも秀でていた。官の長でしたので、文学を第一とした。面白きことを書いた書である。私も持っていたが、今熊野で焼いてしまった。

  今熊野の庵炎上し幾多の書灰燼に帰すいたしかたなし

『伊勢物語』七十八段 多賀幾子という女御が亡くなった。四十九日の法要を安祥寺で行った。右大将藤原常行が、法要に参列した。その帰りに、山科の禅師の親王(人康親王か高丘親王)の邸に寄った。滝を作り、水を走らせた、趣向をこらした邸だった。常行は、「長年、よそながらおしたい申しあげていましたが、おそば近くにお仕えしたことがありません。今宵はおそばに控えさせてください」と言った。親王は喜び、夜の宴のしたくをさせた。右大将は、退出して、供のものとその夜の趣向を相談した。

「宮仕えのはじめだというのに、ただ何もせずにいていいものだろうか。以前、帝が父良相の三条の屋敷に行幸があった折、紀伊の国の千里の浜にあった石を献上した人があった、しかし、献上は行幸が終った後だった。そのまま、ある女房の部屋の前の溝のところに石は置いてある。親王は、庭園に趣向をこらす、ぜひともあの石を献上しよう。右大将は言い、武官の舎人に石を取りにいかせた。ほどなく石を持ってきた。かねて聞いていたより、石はすぐれていた。これをただそのまま献上するのもつまらない。右大将はさらに言い、歌を詠ませた。そして右の馬頭であった人の詠んだ歌を、石の青い苔にきざみ、蒔絵模様のようにしるして献上した。
・あかねども岩にぞかふる色見えぬ心を見せむよしのなければ
この馬の頭は業平かと。

  苔石にしるす一首の歌を献ず皇子親王さてよろこびたるか

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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