2024年5月3日(金)

朝から晴れ。空が、もう夏のような青が深い。遠くには雲あるが、真上は深い青。こんな色の空は、最近見たことがない。

  夏空のやうなる深きブルーの色歩きつつ幾度も見上げたりけり

  真っ青な空に溶け入るごとくにてわが脳天も蕩けてゆくか

  ブルースカイを胸に鳴らして歩くときしんみりとした気分にならむ

『論語』述而一六 孔子が言った。「我に数年加へ、五十にして以て易を学べば、大なる過ち無かるべし。」

  数年を経て『易』を学べば大きなる間違ひあらずと孔子のたまふ

『正徹物語』124 宗尊親王は、四季の歌にもどうかすると述懐の歌を詠み、それが欠点だと取りざたされた。物哀体は歌人の好む歌風である。このスタイルは、詠もうとすれば、できるかも知れないが、やはり生まれつきのものである。物哀体を詠もうとして「あはれなるかな」といって、哀れがらせようと詠めば、少しも物哀体ではない。どことなくしみじみと感ずる歌風の歌こそ物哀体である。俊成の歌こそ、物哀体だ。
・しめおきて今やと思ふ秋山のよもぎがもとにまつ虫のなく 新古今1560
・をざさ原風待つ露の消えやらずこのひとふしを思ひおくかな 新古今1822

どことなくしみじみとする。

  物哀(もののあはれ)の体はむずかしきしみじみとした俊成のやうに

『伊勢物語』七十四段 男が、女をひどく恨み、詠んだ。
・岩根ふみ重なる山にあらねども逢はぬ日おほく恋ひわたるかな

男には、熱情があるんだね。女は無愛想だったのかな。でも、この歌は……

  無愛想な女にしあれど恋ひわたるこんな男の情熱をこそ

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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