2024年5月18日(土)

よく晴れて、暑い。井出トマトへ行ってきた。富士山の雪が少なくなり、どっしり感がある。

  薄青き春シャツ羽織り出でゆかむこの野の涯てはかがやくうなばら

  わが夢に海に沈める骸骨がとびだして来る踊りはじめる

  水母たちのダンス・ダンス・ダンス一斉に踊ればそろふ足けりあげて

『論語』述而三〇 陳の司敗(司法官)が「昭公(魯の先代君主)は礼をわきまえられていましたか。」と尋ねた。孔子は「礼を知れり。」孔子が退出すると、司敗は巫馬期(孔子の門人)に会釈して前に進み「君子は仲間びいきをしないと聞いていたが、君子でも仲間びいきはするか。殿様(昭公)は、呉の国にからめとられていたが、同じ姓であるため夫人のことを呉孟子とよばれた。この殿様が礼をわきまえていたとすると、礼をわきまえない人などいますでしょうか。」巫馬期が知らせると、孔子が言った。「私はしあわせだ。過ちがあれば、人がきっと気づいてくれる。」

  おのれのみに礼するならずわが側にはおのれを糺す人やありけむ

『正徹物語』138 中頃、素月という禅僧がいた。ただ一首、『新後撰集』(新後拾遺か?)に入った。一首であるが。憧れる歌である。
・思ひ出のなき身といはば春ごとに馴れし六十年の花や恨みん

と歌った。慶月の「花や恨みん」のついでに思い出した。

  わたしにも六十年のさくらばな散り来ればたしかに花恨めしき

『伊勢物語』八十八段 もう若くはない友たちが、あのひと、このひとと集まった。みなで月を眺めた。中の一人が詠んだ。
・おほかたは月もめでじこれぞこのつもれば人の老いとなるもの

なかなか気が利いている。

  月をみて日々を暮らせばたちまちに老い人となるなさけなきもの

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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