初夏らしいいい天気だ。9時20分からリハビリだった。裏のベランダから中庭を睥睨すると皐月つつじの赤い花がつらなって、まるで赤い絨毯が敷きつめられているようだ。
つつじ萎え皐月つつじの赤き花連なり咲けばはつなつのひかり
はつなつの風に揺れたる皐月つつじこの垣くだる地獄の門へ
皐月垣に沿ふて歩めば老いの身のそれなりに疲るこれも浄土か
『論語』述而二九 孔子が言った。「仁遠からむや。我れ仁を欲すれば、斯に仁至る。」孔子が得意げに言ふ仁遠からず欲すればここに仁は至れり
『正徹物語』137 慶運の子に慶孝という者がいた。東山の黒谷に住んでいた。
花の盛りに、冷泉為尹いまだ宰相にてありし頃、父の為邦、了俊など同道し、東山の花見を見物した。「題を懐に入れて、道すがら案じて、鷲尾の花の下にて講ずべし」ということになり、「さらば慶孝をさそふべし」と庵室に訪ねていった。ちょうどいたところを誘いつつ、「花を尋ぬ」という題を出したところ、慶孝は、
・さそはれて木のもとごとに尋ねきぬ思ひの外と花や恨みん
と詠んだ。
突然におしかけてきて一首を詠め花がなければかくもせざるに
『伊勢物語』八十七段 摂津の国兎原のさとを領地として所有する男が住んでいた。むかしの歌に、
・蘆の屋の灘の塩焼きいとまなみつげの小櫛もささず来にけり
とあるが、それは蘆屋の灘のこと。
男は、かたちばかりの宮仕え、男の兄は、衛府の長官だった。男とその兄のもとに衛門の佐たちが、周囲に集まってくる。男たちは、蘆屋の海のほとりをそちこちあそび歩いた。「山の上の布引の滝を身に行こう」という者があり、のぼって行った。
長さ二十丈、広さ五丈ばかりの滝が流れ落ちている。あたかも大岩を白絹が包みこんでいるごとく。岩壁の上部には、座布団ほどの嵩にまるく突きだしているところがある。その部分の滝は、蜜柑や栗ほどの大きさの白い玉になって、こぼれ落ちる。
男たちは、それぞれに詠んだ。まず男の兄、衛府の督
・わが世をば今日か明日かと待つかひの涙と滝といづれ高けむ
つぎにあるじ、
・ぬき乱る人こそあるらし白玉のまなくも散るか袖のせばきに
みなは笑った。男の歌をもてはやし、自分たちはもう詠まなかった。
帰り道は遠かった。日は暮れ、邸の前にさしかかった。帰ろうとする男の家の方を見ると、海人の漁火がたくさん見える。
・晴るる夜の星か川べの蛍かもわが住むかたの海人のたく火か
そう詠んで家に帰った。その夜は南風が吹き、波は高かった。
翌朝には、女たちが海辺に出て、浮海松が波にうちよせられたものを拾い、持ち帰った。家刀自は、海松を高坏にもって、柏の葉をおおいかぶせた。そして柏にこう書いた。
・わたつみのかざしにさすといはふ藻も君がためにはをしまざりけり
「ゐなか人の言にては、よしや、あしや。」
私は、それほど悪いとは思えませんが。
わたつみに近ければ海松ひろふたる歌よしやあしやと問ふこともなく