2024年5月15日(水)

朝から晴れ。気温も上がるらしい。五・一五事件の日。あの日から92年。この国を軍人が牛耳るようになるはじまりか。犬養毅が射殺され政党政治に終止符が打たれた。ある意味、日本の国を誤らせる第一歩であった。それにしても人権を無視されるような時代は勘弁してもらいたい。

イスラエルやロシアのような。そして中国、北朝鮮…

  おやつに京井筒屋の生八つ橋弾力を持つ味をたのしむ

  在原業平らの歩みあり涙にほとぶる干飯たぶる

  宇治の茶のみどりのいろを映したる茶碗を覗く京のはてなり

『論語』述而二七 孔子が言う。もの知りでもないのに創作する者がいる。私は、そんなことはしない。多くを聞いて善いものを選んで従い、多くを見ておぼえておく。それはもの知りではないものの、その次である。

孔子の謙譲か。

  もの知りでもないのにものを作るそれはだめだと孔子のたまふ

『正徹物語』135 「途中に契る恋」という題に、
・やどりかる一村雨を契りにて行方もしぼる袖のわかれぢ

と詠みましたのを、飛鳥井とのなども褒めてくださった。

  旅にして宿かるところに女あり恋するものを置き去りにけり

『伊勢物語』八十五段 幼い頃より仕えていた主である親王が、髪をおろして出家した。男は、正月には必ず出家した親王を訪ねた。ふだんは朝廷での勤めがあるので、正月しか訪ねることができなかった。それでも、仕えていた心のまま慕いつづけた。

男と共に、新王に仕えていた人々―出家はしていないが仏に心よせる者も、寺で修行する僧も、多く集まった。正月だからと、親王は御酒をふるまった。雪は降り続いた。人々は酔った。雪に降りこめられた、という題でみな詠んだ。男は、こう詠んだ。
・思へども身をしわけねば目離れせぬ雪のつもるぞわが心なる

新王は、深く感じ入った。そして、みずからの召しものを脱ぎ、男に与えた。

  雪に降られ飲みつつたのしされど昔のごとくにはあらず

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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