2024年5月13日(火)

今日は朝から雨。激しく降ったり、雨勢が弱まったり。雲が厚くなったり、明るくなったりの天気で、鬱陶しい。家の中、千歩。廊下に出て、階段上下をまじえて千歩。これが午前中。

澤田瞳子『星落ちて、なお』読了。河鍋暁斎の娘とよ。画家としては暁翠の半生を描く。画鬼暁斎の死から物語ははじまる。兄暁雲との葛藤、そしてさまざまなことがあって、関東大震災を生き抜く暁翠の悩み、煩悶が、かなり丁寧に書かれる。

なかなか骨のある本であった。

  風呂洗ひにわが綿シャツの袖濡れて泣くにはあらずも感傷しばし

  感涙にむせぶときわれにもありしかなおもひかへせば涙し垂るる

  泣くほどの力失せたる老いなれどかなしき涙目頭に憂し

『論語』述而二六 孔子は釣りをするが、「釣して綱せず(一度に多くの魚をつる漁具はつかわず)」、「弋して宿を射ず(糸のついた矢で鳥をからめとることはしない)」

  孔子が釣りする狩りをする意外なり(ずる)はしないのしても-

『正徹物語』134 「門より帰る恋」の題は何度も詠んだ。「等しく両人を思ふ恋」の題は、まだ詠んだことはない。この題が実際に出たということも聞いたことがない。「門より帰る恋」の題では『後選集』に、
・鳴門よりさしいだされし船よりも我ぞよるべのなき心ちする 後撰651 藤原磁幹
とある。

  遭ふことのかなはず門を出でくるによるべなき恋のこころもちする

『伊勢物語』八十四段 身分は低いが、母は皇女だった男がいた。母は長岡に住んでいた。男は、京で宮廷づとめ。遠いので母を訪ねることができない。男は、母にとってただ一人の子だったから、たいそうかわいがられた。

十二月、母から便りがあった。驚き開くと歌が書いてあった。
・老いぬればさらぬ別れのありといへばいよいよ見まくほしき君かな

男はさめざめと泣いた。そして詠んだ。
・世の中にされぬ別れのなくもがな千代もと祈る人の子のため

逢えたのでしょうか、この母子は。老い母の思いの強さが、子にも通じいるから逢えたと思いたいところです。

  子を思ふ親のこころを知ればこそ千里の道も遠しとはせず

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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