2024年5月11日(土)

朝から晴れている。朝は涼しかったが、いまは暑い。

  新しき若葉が古きみどり葉に変はるときには古葉こぼるる

  新しき若葉に変はる椿の木繁り閑散としてひよどりも来ず

  常葉樹の椿の葉々に隠り飛びだせるひよどり今の樹には拠り来ず

『論語』述而二四 孔子は、「四つを以て教ふ。文、行、忠、信。」

  孔子の教え四つばかり文、行、忠、信いづれもむつかし

『正徹物語』132 春の歌に慈円が
・吉野川花の音してながるめり霞のうちの風もとどろに

「『花の音して』といへるが大きなるなり。」また秋の歌に 
・秋ふかき淡路の嶋の有明にかたぶく月を送る浦かぜ

修理大夫畠山義忠の家の会で、「夏の樹の鳥」という題でこんな風に詠んだ。
・時鳥また一声になりにけりおのが五月の杉の木がくれ

「時鳥また一声になりにけり」といっているのが、やや大ぶりと見る。たとえ千声百声といっても、微細な歌柄となることもある。

  三体の歌の(ふう)には大ぶりがよしたとへば「花の音」と詠むかな

『伊勢物語』八十二段 惟高親王の離宮が山崎の先、水無瀬にあった。毎年、桜の花の盛りには離宮を訪れた。必ず右馬頭をつれていた。右馬頭の名は、さても時がたったので忘れた。しかし狩りはさほどせず、酒ばかり飲んで、歌をよく詠んだ。すぐ近くの交野は、狩りによく、桜の美しいところであった。その渚にある邸の桜はことに美しかった。親王は馬からおり、桜のもとに座った。枝を折り、冠に飾った。身分の上下なく、皆で歌を詠んだ。右馬頭は、こう詠んだ。
・世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

また違う人は、こう詠んだ。
・散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき

一行は帰途についた。日は暮れようとしていた。すると供の者が、しもべに酒を持たせて野よりあらわれた。この酒を飲むによき場所を探した。天の川(枚方市禁野)にたどりついた。右馬頭は親王に酒をすすめた。親王は言った。「交野で狩りをし、天の川のほとりまで来た」という題で、歌を詠み、飲もう。右馬頭は詠んだ。
・狩り暮らし棚機つ女に宿からむ天の川原にわれは来にけり

親王は歌に感心し、くり返し朗誦したが、そのあまり返歌を作れなかった。そこで紀有常が返した。
・一年にひとたび来ます君待てば宿かす人もあらじとぞ思ふ

やがて親王一行は、水無瀬の離宮に帰り着き、夜更けまで飲み、話に興じた。主である親王は、酔って寝所に入ろうとする。十一月の月も山の端に隠れようとしていた。

右馬頭が詠んだ。
・飽かなくにまだきも月の隠るるか山の端にげて入らずもあらなむ

親王にかわり紀有常が返した。
・おしなべて峰もたひらになりななむ山の端なくは月も入らじを

  山の端に隠ろふ月のいつまでも入らむと思ふな沈むが月なり

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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