2024年4月7日(日)

気温も高くなるようで、歩いていても暖かい。少し速く歩こうとするとうっすらと汗をかくようだ。

昨日、なぜか「かなりや」のメロディ、そして歌詞がぼんやり浮かび、いつか口ずさんでいた。早速、『日本童謡集』(岩波文庫)を開き、「かなりや」を確認。西條八十の作詞であった。その世界を、短歌に移してみる。

  唄を忘れたかなりやを棄ててはならず象牙の船にのせませう

  かなりやを後の山に捨ててはならぬ月夜の海に浮べませう

  かなりやを柳の鞭にいたぶるな銀の櫂にて海へ漕ぎだす

やっぱ、童謡は凄いね。

『論語』雍也二二 樊遅が知を問う。孔子が答えた。「民の義を務め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂ふべし。」また仁を問うた。「仁者は難きを先きにして獲るを後にす、仁者と謂ふべし。」

なるほど、これは分かりやすい。人として正しいことを孔子は教えたのだろう。

  樊遅が問ふ知と仁を孔子は解けり難解にあらず

『正徹物語』101 「暁の夢」という題でこう詠んだ。
・暁のね覚は老の昔にて宵の間たのむ夢も絶えにき 草根集5059

「暁のね覚めせられしは事は、老にも四、五十の昔の事だ。今は宵にも寝られない。」

まあ、そんなものだ。私も67歳、えらく早く目覚め、朝方は眠れない。

  暁のね覚めは遠き昔の事たのしき夢から遠ざかりをり

『伊勢物語』五十一段 男が、ある人の邸の植込みに菊を植えた。そして詠んだ。
・植ゑし植ゑば秋なき時や咲かざらむ花こそ散らめ根さへ枯れめや

この相手の邸とは、男が愛する女性の住むところだろう。だから丁寧に植えた菊のように、いつまでも枯れない。思いは途絶えることがない。

  植ゑし植ゑばつきせぬ菊の花が咲くごとくに恋も絶えせずつづく

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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