2024年4月6日(土)

曇りで、寒いけれど、桜はほぼ満開である。

  花冷えやさくら木のした春物のコートのボタンきっちり留むる

  さくら木の枝にすずめを集らせて蜜吸はせをりこの春寒に

  花も葉も共に出づるは山桜白き花よしまだ蕾ある

『論語』雍也二一 孔子が言う「中以上の人には上のことを話してもよいが、中以下の人には上のことは話せない。何のことかと思うと註があって、人を教えるには相手の能力によらねばならないということらしい。差別があるかのようで、そうではあろうが、あまり感心できないのだが。

  人にして能力の違ひあるものの孔士の言は納得しがたし

『正徹物語』100 「名所の春の曙」という題で、次のように詠んだ。
・明けにけりあらましかばの春の花なぎさにかすむ志賀の山もと 草根集2874

これも「あらましかば」といひたるが面白き体なり。曙の霞わたれる志賀の山元に花が咲き乱れてあらば、いかに面白からまし…「なぎさにかすむ」は、今は花が「無き」を掛けている。「なぎさ」に「無き」を掛けている

  あらましかばさくらの花の咲き満ちよ霞わたれる琵琶湖の岸に

『伊勢物語』五十段 男が、うらみごとを言ってくる女を、のろわしく思い、
・鳥の子を十づつ十は重ぬとも思はぬ人を思ふものかな

と詠んだ。すると女はこう詠む。
・朝露は消えのこりてもありぬべし誰かこの世を頼みはつべき

男は、また返す。
・吹く、風に去年の桜は散らずともあな頼みがたき人の心は

女は、また返した。
・行く水に数かくよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり

男は、更に返す。
・行く水と過ぐる齢と散る花といづれ待ててふことを聞くらむ

互いの浮気を言い合う男と女。どうせ、ひそかに別々の相手と遊んでいた時のやりとりに違いない。

まあ、どっちもどっちというところでしょうか。

  うらみごとを言ひし女と幾たびも歌のやりとりどっちもどっち

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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