2024年4月28日(日)

朝から晴れて、少し暑い。歩いてくるとまた暑いのだ。

  葉ざくらの風に煽られ大き枝激しく揺れて音たててをり

  葉ざくらに小さき実あり風に落つ黄色く積もる地べたを歩む

  ウインドを開けっぱなしに自動車(くるま)来るロックのごときを大音にして

『論語』述而一一 孔子の言。「富を追求してもよいなら、鞭をとる市場の監督でもつとめよう。もし追及すべきでないなら、私は好きな生活に向う。」

わかりますが、執鞭の士への差別ではありませんか。

  われ富を求めんとすれば執鞭の士ともなりなむと孔子のたまふ

『正徹物語』120 懐紙を重ねることが第一の難事である。位階の順、あるいは家格により重ねるものなので、厄介である。公家の会では官職と位階があり、それに従えば重ね方は簡単だ。公家と武家が会合するときが面倒なのだ。

勝定院殿義持の治世に、官は中納言、位は正二位であった飛鳥井雅縁の懐紙を、当時の管領だった岩栖院・細川満元の上に重ねたところ、満元はもうこの国の執政だから、飛鳥井より上に重ねよと義持はいった。管領は参議に準ずるので、中納言より上に重ねることはできないと満元はいい、承服しなかった。

どうだっていいことにプライドかかっていたのかな。この時代は。

  わが上に懐紙を重ぬることなかれ将軍の言も承引はせず

『伊勢物語』七十段 伊勢で狩りの使いを終えて、尾張へ向かう時である。大淀の渡りに泊った。そこへ斎宮に仕える童女がつかわされてきた。男は童女に呼びかけた。
・みるめかるかたやいづこぞ棹さして我に教へよ海人の釣舟

  いつまでも未練おさまらぬ男なり近き泊りに逢たかりしを

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA