2024年4月2日(火)

朝から晴れ、ヒヨドリが鳴き、スズメが桜の木に拠り、春らしい日和である。

  一輪、二輪咲けるばかりの枝にきて枝を揺すれる子すずめ三羽

  さてもさても(つがひ)になるかひよどりのむくつけき二羽前後して飛ぶ

  人の世のあかるく開く朝の庭ひよどりがきて愛の宣言

『論語』雍也一七 孔子が言った。だれでも出てゆくのに戸口を通らなくてよいものはない。どうしてこの道を通るものがないのだろうか。

  戸口を通らずにこの道を往くものはなし必ず通るはずの戸口を

『正徹物語』96 読師の対面の座は、主位といい主催者など重んずべき人の坐る座である。文台の上は、主上の座。読師の後ろが一等下座である。読師講師の傍らにはその他の人々が、ぎっしり取り囲むように座る。

  歌会の座にもきまりがあるものを窮屈なれど従ふべしや

なんだかうるさいね。決まりなど誰がこしらえたのかなあ。

『伊勢物語』四十六段 男は、心のまっすぐな友をもっていた。片時も離れず、信頼しあっていたが、友は他国へ行くことになった。寂しい思いのまま別れた。月日を経て、友が男に文をよこした。

あれから、驚くほど月日がたってしまいました。私のことをあなたは忘れてしまったのではないかと、思い悩んでいます。世の中の人々は、会わなくなれば忘れてしまう。

そう書いてあったから、男は詠んだ。
・目(か)るとも思ほえなくに忘らるる時しなければ面影に立つ

  面影に立つものをこそ友といふかくうつくしき友情あらむ

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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