2024年4月15日(月)

朝から晴れて暖かい。さくらの花も、そろそろ終わる。

  わが家には時計いくつかそれぞれに違ふ針の(ね)時を刻めり

  四つの時がそれぞれに刻まれて老いを悩ます時の回転

  時間ごとに自我が刻まれわたくしは四つの自我を持ちたるべしや

『論語』雍也二九 孔子の言。「中庸の徳たるや、其れ至れるかな。民(すく)なきこと久し。」

中庸は最上だ。だが人民のあいだに乏しくなって久しい。

  中庸は最上の徳されど今は民のあひだに乏しきものを

『正徹物語』108 歌は「寛平以往の歌に心をかけよ」と定家も書いている(「近代秀歌」から、古今集よりさらに以前の歌を理想とせよということだ。このように和歌は「古風を心に染めよ」とあるからといって、後拾遺集の時代の風体は詠みぶりがとりわけ悪い。まるで「ほこりうち立てたるものども」で、中国からの舶来品といっても、「口ゆがみ、はたのかけたる古銅のをかしき様なり。」

  歌といへば寛平以往に心がけよ古風をこころに染めたるがよし

『伊勢物語』五十八段 男は、色好みであり、ものごとの良し悪しもわきまえていた。

長岡(京都府長岡京市)に住んでいた。隣には宮様の皇女たちが住んでいた。仕えているのはちょといい女たち。田舎だから、男は稲刈の指図をする。女たちは「まあ、稲刈の指図なんて、数寄者だこと」と皮肉にからかいながら、家の方まで来た。男は、家の奥に逃げ、隠れた。

女たちが詠んだ。
・荒れにけりあはれ幾世の宿なれや住みけむ人のおとづれもせぬ
と言って、ますます集まって来た。

男は、
・葎生ひて荒れたる宿のうれたきはかりにも鬼のすだくなりけり
と読んだ。

この女ども「穂にひろはむ」、かりそめですって。『稲刈り』に掛けたのね。せっかくですから、男の田の落穂を拾いましょう。」それで男は詠んだ
・うちわびて落穂ひろふと聞かませば我も田面に行かましものを

女性たちの勝ということですね。

  田に出でて男なにせむ女たちに見据えられてぞ顔あからむか

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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