今日は晴れた。ここのところ雨や曇りの日がつづいたので、朝から明るいのが感動的にうれしい。だけど冷たいのだ。
徳田秋声『黴・爛』(講談社文芸文庫)を読む。『黴』の笹村とお銀、『爛』の浅井とお増、そしてその男たち女を取り巻く一癖も二癖もある人物のどうでもいいような生活を語って、なんとも先の見えない小説なのだが、面白いのだ。「たヾ消極的で、沈滞的で、惰性的で、機械的で、而して敗滅的」(相馬御風)の生活だが、どれほど複雑な味わいに富んでいるか。室生犀星や永井荷風を読んだときのような心踊りを感じている。『縮図』や『仮装人物』も読みたいのだが、ネット上にないのだ。
峰々の遠き彼方のあかるむところありしをよろこぶ明日は晴れなり
けさ晴れて、しかし空気は冷えてゐる一階のポストへ朝刊取りに
さくら花昨日の雨に風に散る木の周辺は花びらだらけ
『論語』雍也二四 孔子が言う。「斉、一変せば魯に至らん。魯、一変せば道に至らん。」
魯は孔子の故国であり、理想とした周公旦が開いた国で、周初の文化の伝統がなお遺存したからである。斉より魯が理想的な道徳政治にゆきつけるだろう。
斉、一変せば魯、魯一変せば道。わが故国道ある国に近づくものを
『正徹物語』103 歌よまぬとき抄物(歌学書など)を博く見ておき、さて晴の歌を詠もうとする時は、書物は置いて、何も無くして案じたるがよし。歌を詠む時に、昔の歌書を見て、少しずつ句を書きながら詠んでいると、類想歌を見つけて、良い歌を詠めない。そやって詠むようになると癖になって、晴の歌が詠めなくなる。昔は女房などは、横になって詠み、照明を暗くして、わざと頼りなげな状態で構想を練る人もいた。
西行は生涯修行の身で詠んだので、廊下を廻りながら、あるいは北向きの戸をわずかに開け、月光を見ながら構想を練った。
定家は、南向き戸を撤去して、部屋の中央に座し、南方を遠くまで眺めて、装束をきちんんと着て構想を練った。こういう姿勢が内裏仙洞などの晴の会で詠む有様と相違せずよいのである。
俊成は、いつも黒ずんだ浄衣の上着だけを引っ掛けて、桐の火桶にちょっとよりかかってそうした。ほんのわずかでもしどけなく横になったりして、構想を練ったことはない。
私どもも偶然寝床で目が覚めて詠んだような歌は、起きてから見ると、必ずしも良くはなかった。
西行、定家、俊成の晴の歌つくりし時はそれぞれに会に出るさまして案ず
『伊勢物語』五十三段 男が、逢いがたい女に、逢うことができた。睦言かわしているうちに、夜明けの鶏が鳴いた。
・いかでかは鶏の鳴くらむ人知れず思ふ心はまだ夜深きに
鶏どもよまだ鳴くこともなからうにまだまだ女と離れがたきぞ