今日から四月だ。朝、雨。いったん止むも、また降るそうだ。そして午後三時には晴れる。
気がつけば廊下の奥に立ってゐる醜き老婆わが母ならむ
九十を超したる頃から惚けつづく醜き老媼いらんことする
明かりなきキッチンに立つ母の影まるで妖異が佇むやうなり
『論語』雍也一六 孔子が言う。祝鮀(衛の祭祀官。雄弁で知られる)のような弁舌がなくて宋朝(宋の公子朝。衞の霊公の夫人南子の情人として美貌で有名)のような美貌があるだけなら、むつかしいことだ。今の時世を無事におくるのは。」
弁舌なく美貌ばかりではむつかしき今の世無事に送らむとして
『正徹物語』94 続歌―一定数の題を参加者が詠み、継いで一巻とする歌会―を詠む時に、短冊を取り忘れなどして、ある題が残ってしまう。すでに短冊を重ねる段になって、それを見つけると、その場の達人に投げつける。投げつけられたら、即座に詠む。ここでは、ちとも案ぜぬことである。了俊がいうには、頓阿が達者であることを二度まで目撃した。
為秀卿が出られた会で、一首誰も詠まぬ題があり、すでに短冊を重ねる時だったので為秀卿は「頓公に」と投げかけた。頓阿は、「ちとも案ぜず、やがて書き出せり」。その題は「梅散りて客来る」という題で、誰も詠まないのも道理であった。「さていかなる歌をか詠みつらん」と披講の際に聞いた。
・とはるるもいとど思ひの外なれや立枝の梅は散り過ぎにけり
また、ある会に為秀・頓阿・慶運・静弁・兼好など当時四天王と称された名人が集まった会に、頓阿・慶運らはみな六首。為秀はさらに多く、末席の初心の者は一首二首取った。さて頓阿は「所用があり、勝手ですが席を外す」と言って六首の題を小棚に入れた。罷り出ると、慶運が自分の六首の題に取り換えた。「はやその間に皆の出で来て書き出」すに「頓阿はどうして遅いのか」と言っているところへ頓阿が戻ってきた。「さきに置きし題を取りて、墨おしすりて書かんとて見れば、我が題にてなきなり」六首とも違う。別の題であった。「されどもさわぎたる体もなく」、「なんとおかしなことだ、誰がした悪戯だろう」と言い、墨を磨り、筆を染めて「さらさらと六首皆書きて出だせり。」披講の後に、慶運が「かしこくぞ仕りたりける。か様の時こそ、堪能の程はあらはれ候へ」が種明かしをすれば、頓阿「ひどいことをなされたものだ。いい年をして、人がこんなことをしたらせめて注意くらいしなければならぬ立場でしょうが」と答えた。その六首の中に「橋の霜」という題にて、こう詠んだ。
・山人の道の往来の跡もなし夜のまの霜の真間のつぎはし
続歌のむつかしきこと解き明かす名人頓阿のやりやう見つつ
『正徹物語』が、妙に長かったので『伊勢物語』は休みにする。