曇りというところか、それでも寒い。
『HHhH―プラハ、1942年』(創元文芸文庫)読了。骨のある本であった。HHhは、「ヒムラ―の頭脳はハイドリヒと呼ばれる」という意味だそうだ。悪辣なナチスの高官であった。そのハイドリヒを殺害する「類人猿作戦」、ロンドンに亡命中のチェコ政府によって投下されたパラシュート部隊員のヤン・クビシュとヨゼフ・ガプチークの二人が暗殺役だ。とりあえずハイドリヒは死ぬが、その後のナチスの反撃のすさまじさ。それを2008年の視点をまじへ作者、語り手が重要に働き卓抜な小説になった。
雲重くわが脳髄も重くしてプラハの街をさまよふてゐるる
リディツェ村は壊滅的に破壊さるナチスいまさらに許し難し
白梅紅梅咲く家ありてふらふらと読書の息抜きに団子買ひきぬ
『論語』公冶長一九 子帳が尋ねた。楚の宰相・子文は三度令尹になったが、嬉しそうな顔もせず、三度辞めさせられたが、怨みもせず前の政を、必ず新しい宰相に告げました。いかがでしょう。そうすると孔子が答えた。誠実だね。また子帳が聞いた。仁でしょうか。孔子の答え。智者でないものを、どうして仁といえようか。崔子が斉の君主を殺した時、陳文子は、四十頭を捨てて立ち去った。よその国でまた崔子と同じいって、また別の国へ行ったものの、ここでも崔子と同じだと国をさった。この行動はどうでしょう。と聞かれ、孔子が答えた「清し」「仁なりや」「智者ではない、どうして仁といえようか」。「仁」に厳しい孔子の姿がある。
子文も陳文子もその行ひ忠・清なれど仁にはあらず
『正徹物語』71 「負くる恋」の題で、「飾磨川人はかち路」と詠んだら、重阿がひどく立腹した。人を勝たせたのであるから、自分が負けたのはおのずと知れる。
・飾磨潟のぼる小船の苦しきや人はかち路にかかる川波 草根集4526
正徹と重阿の仲は確執あり歌会の勝ち負けどうでもよろし
『伊勢物語』二十一段 男と女、深く愛しあっていた。こと心などありえなかった。しかし、ある時女の心に隙間ができてしまった。女の歌、
・出でて往なば心かるしと言ひやせむ世のありさまを人は知らねば
歌を書きつけ女は出ていった。男は悩んだ。涙をこぼし、女を探した。そして詠んだ。
・思ふかひなき世なりけり年月をあだに契りて我や住まひし
・人はいさ思ひやすらむ玉かづら面影にのみいとど見えつつ
時が長くたった。女から、男の沈黙に耐えられなくなったのだろうか、歌が詠まれた。
・今はとて忘るる草の種をだに人の心にまかせずもがな
男は返した。
・忘れ草植うとだに聞くものならば思ひにけりと知りもしなまし
そうしたやりとりを経て、二人は以前より深い仲になった。
男が、
・忘るらむと思ふ心のうたがひにありしよりけにものぞ悲しき
女の返し、
・中空に立ちゐる雲のあともなく身のはかなくもなりにけるかな
復縁した二人だったが、そののちそれぞれ別の相手を得て別れてしまった。
歌は七首と多いけれど、なんとなく寂しい章段である。