2024年3月6日(水)

朝から冷たい雨、そして北風。だから寒い。

二、三日前のことだが、部屋に蠅がいた。冬の蠅だ。

  何処からか迷ひ入りたる冬の蠅頼りなげなりわれに打たるる

  部屋のなかを蠅が来てゐるふらふら游ぶも頼りなげなる

  ふらふら飛ぶ蠅のあとたどりゆき遂につぶせり窓の下に

『論語』公冶長一八 孔子が言った。臧文仲(魯の大夫)は、卜に使う大亀甲を締まっていたし、柱の上のますがたに山をほり、梁の上の短い柱に藻を描いて天子でなければできないことをした。それで智者とは。とてもいえない。臧文仲は、だめだということ。

  魯の太守臧文仲は悪しきゆゑ如何ぞ其れ知らなんといふ

『正徹物語』70 「春ノ恋」の題で歌を詠んだ。
・夕まぐれそれかと見えし面影の霞むぞ形見有明の月 草根集4443
夕暮れの霞みわたれる頃、人をちらっと見て「これは我恋しく思ふ人、やれ」と、その面影を心にきざみ、一夜を過ごして、明け方に残月を見て、あの面影を思い出すと、霞んだ月にぼんやりとした面影が浮かんだように感じた。そこで「霞む形見」と詠んだ。この面影は、どんな表現・内容でも追い付かず、ただ幽玄である。言葉を超えたことだ。『源氏物語』の
・袖ふれし人こそなけれ花の香の面影かをる春の曙 手習巻・浮舟の歌
と好一対である。正徹の自慢話だね。

春の霞のやうなる面影に恋をする正徹どこか純情なりき

『伊勢物語』二十段 昔男、大和にある女と恋仲になる。時を経て、男は京に宮仕えするものなれば、帰らなければならなかった。三月であるのに、楓の若葉が、まるで紅葉しているように赤く美しかった。手折って女に送った。
・君がため手折れる枝は春ながらかくこそ秋のもみじしにけり
京についたあと返歌があった。
・いつの間にうつろふ色のつきぬらむ君が里には春なかるらし
また、大和にきてくれないかしら。そんな思いだね。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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