2024年3月29日(金)

雨に南風、南風が強い。こりゃたいへんだ。ベランダのサンダルが水浸しだ。

  抽斗に春のセーター動きだすざはざはさわぐ水色、黄色

  淡きブルー、イエローの春のセーターの主張をはじむわれこそ吾こそ

  せっかくの春の日の朝みづいろのセーター選び頭突っこむ

昨夜、堀田善衞『定家明月記私抄』の正編(正編かどうか表示はないので、仮に。続編には続編と表示してある)を読み終える。定家十九歳から四十八歳までの日記を読み、作者ならではの視点や同時代の権力者の日記などと比較しながら、これは面白い。貴族社会のとんでもなさ。定家の貧窮が明瞭だ。苦虫をつぶしたような定家の表情が見えてくる。続編を続けて読むつもりだが、これが国内ではなくバルセローナで書かれたというのは驚きの他ない。

定家の歌を抄録しておくので、今日は『論語』以下を省略する。
・行螢なれもやみにはもえまさる子ヲ思ふ涙あはれしるやは
・霧冱ゆるあしたの原のゆふがれに一花さける大和撫子 
・吉野山霞める空をけさ見れば年は一夜のへだてなりけり
・道絶ゆる山のかけはし雪消えて春のくるにも跡は見えけり
・なにとなく心ぞとまる山の端にことし見初むる三日月の影
・たまゆらの露も涕もとどまらず亡き人恋ふる屋戸のあきかぜ
・大空は梅の匂ひにかすみつゝくもりもはてぬ春の夜の月
・春の夜の夢の浮橋とだえして嶺に別るゝ横雲の空
・かすみたつかりばのをのれまちまちになごしなごしの春のあけぼの
・昨日までかげと頼みしさくら花ひとよの夢のはるのやま風

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA