今日も青空、しかし寒い。北西の強い風がある。ベキシブル一錠、副作用がでなかった。
べレキシブル再開するに一夜経て副作用なしほっと息する
今後のことはいまだ判らずべレキシブル服用しつづける他に手立てなし
首傾け身体かたむけわが立つにたましひも傾ぐ混濁してゐる
『論語』雍也六 孔子が言った。仲弓は、「犁牛の子」、赤い毛並みでも角がよければ、用いないでおこうと思っても、山川の神々の方でそれを見捨てておこうか。抜擢されるに違いない。
仲弓は微賤の出でも角が良し山川の神に抜擢されるべし
『正徹物語』85 恋の歌で、定家ほどのものは、昔も今も決してあるまい。「待つ恋」の題で、このように詠んでいる。
・風あらきもとのあらのの小袖萩に見て更けゆく月におもる白露(拾遺愚草858)
この歌は、自分の身を題の中に置いて詠んでいるので、「待つ」という語を使わなくても、人を待つ意が伝わってくる。はてさて、世迷言を言っているように思えるだろう。しかし深く考えてみれば、「骨髄に通じて面白きなり」。萩の花が咲き乱れている庭を眺めて人を待っていると、小萩に風が強く吹いて、露がこぼれ落ちるのが、人を待ちわびて落ちる袖の涙と同じに見え、夜更け月が傾くにつれて、いよいよ袖は涙に重くなり、小萩の露と競っているような情景が思い浮かび、人を待つ心も深く感じられる。「縁のはしへも出でて、眺め居てこそあるらめ」とも想像されるスタイルだ。「まことに心くるしく夜もすがら待ち居たるすがた、艶にやさしき。」
定家の歌かくも好めばこの歌から人待つ侘しさこれこそ艶なり
『伊勢物語』三十六段 むかし、「忘れぬるなめり」と問しごとしける女に歌を送った。
・谷せばみ峯まで延へる玉かづら絶えるむと人にわが思はなくに
わたしの思いも玉蔓のように絶えることなく続くよ、と言っている。女は、男を迎えたということだろうか。