2024年3月18日(月)

よく晴れて、山側が霞んでいるのは杉花粉だろうか。鼻水が垂れる。

  キッチンにこまかく動く妻の手もと南瓜、筍、人参、大根

  むつかしき表情に妻が考ふる金銭、経費をノートに記す

  雲古の太き二本がわだかまる便器の底の水流の渦

『論語』雍也三 哀公が「弟子の中で誰が学問好きでしょうか」。孔子の答え「顔回という者が学問好きでした。怒りに任せての八つ当たりせず、過ちを繰りかえすことはなかった。不幸にも短命でした。いまは死んでいません。学問好きは、ほかには聞いたことがありません。」

  顔回の学を好むを愛したる孔子に歎きあり短命なりき

『正徹物語』82 「幽玄体」は、そのような和歌を詠める段階に達して初めて理解できる。人が「幽玄なことであるよ」と褒める歌は、単に余情体であり幽玄体ではない。ある人は物哀体を幽玄というが、これも違う。みな一緒くたに幽玄としている。定家は、「昔、紀貫之といった大歌人も、理屈の通った体は詠みましたが、幽玄味のあふれる体は詠まなかった」と書いた。物哀体は歌人ならば誰でも詠む。

  幽玄は余情と物哀とは別のもの紀貫之にも幽玄はなし

『伊勢物語』三十二段 男がいた。かつて情をかわした女に、何年かたって、歌を詠んでおくった。
・いにしへのしづのをだまき繰りかへし昔を今になすもよしがな

この歌をどう思ったのだろうか。それは女しかわからぬことだ。返歌はなかった。

侘しい思いが残るのは、私の弱さであろうか。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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