よく晴れて、山側が霞んでいるのは杉花粉だろうか。鼻水が垂れる。
キッチンにこまかく動く妻の手もと南瓜、筍、人参、大根
むつかしき表情に妻が考ふる金銭、経費をノートに記す
雲古の太き二本がわだかまる便器の底の水流の渦
『論語』雍也三 哀公が「弟子の中で誰が学問好きでしょうか」。孔子の答え「顔回という者が学問好きでした。怒りに任せての八つ当たりせず、過ちを繰りかえすことはなかった。不幸にも短命でした。いまは死んでいません。学問好きは、ほかには聞いたことがありません。」
顔回の学を好むを愛したる孔子に歎きあり短命なりき
『正徹物語』82 「幽玄体」は、そのような和歌を詠める段階に達して初めて理解できる。人が「幽玄なことであるよ」と褒める歌は、単に余情体であり幽玄体ではない。ある人は物哀体を幽玄というが、これも違う。みな一緒くたに幽玄としている。定家は、「昔、紀貫之といった大歌人も、理屈の通った体は詠みましたが、幽玄味のあふれる体は詠まなかった」と書いた。物哀体は歌人ならば誰でも詠む。
幽玄は余情と物哀とは別のもの紀貫之にも幽玄はなし
『伊勢物語』三十二段 男がいた。かつて情をかわした女に、何年かたって、歌を詠んでおくった。
・いにしへのしづのをだまき繰りかへし昔を今になすもよしがな
この歌をどう思ったのだろうか。それは女しかわからぬことだ。返歌はなかった。
侘しい思いが残るのは、私の弱さであろうか。