2024年3月17日(日)

今日は20℃になるらしいが、朝は寒かった。ぼわっと霞んでいるようだ。杉花粉だろうか。

  老いの眠り丑三つ時に目をさますひたひたと踏む足音聴こゆ

  その音に怯えて暫時(しばし)動けざる廊下の隅にたたずむ影あり

  仮面劇の仮面を模写しこころ動く面のたましひにわが(たま)感ず

『論語』雍也二 仲弓が子桑伯子(不明。当時の政治か)のことを訪ねた。孔子が言う。「結構だ。おおようだ。」仲弓がさらに問うた。「慎み深く、おおように行ない、それで民に臨むならば、いかにも結構。しかしおおように構えておおように行なうのでは、おおようが多すぎるのではあるまいか。」孔子は「雍の言、然り」と言った。

  必ずしも子桑伯子はよからずと仲弓は思ふ「雍の言然り」

『正徹物語』81 制詞(使用を禁じられた詞。「ぬしある詞」)と言って、「うつるもくもる」「我のみ知りて」など書きだした一句の名言を、さも自分で詠んだ顔をして密かに本歌に取ることは禁じられている。コソコソ取る事を厳しく禁じている。本歌を取るとは、たしかにその歌を取ったと思わせて取る事だ。また現在活動している者、既に故人でも、ここ百余年の歌人の作は本歌に取らないことである。

  制の詞厳然とある時代なりこの百余年の歌をば取らず

『伊勢物語』三十一段 男が宮中を歩いていた時、さる身分の高い女房の部屋の前を通りかかった。女房と男は、昔は深い仲であった。しかし男は女房の部屋を素通りした。「よしや、草葉よ。ならむさが見ゆ(今はいきおいよく生い茂っているけれど、末はどうかしら)」と女房は、まるで敵対しているかのように言った。そこで男が詠んだ。
・罪もなき人をうけへば忘れ草おのが上にぞ生ふといふなる

これを聞いて、くやしがる女がいた。おそらく女の方が問題で別れたのであろう。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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