2024年3月10日(日)

朝から晴れ。しかし寒い。東京大空襲から79年、明日は東北大震災から13年、三月は地下鉄サリン事件もあるし、災害・事故・事件が多い。

砂原浩太朗『霜月記(そうげつき)』を読む。神山藩三作目。このたびは町奉行家をめぐる話であ る。祖父と孫。孫が十八歳で奉行職を継ぐ。父は奉行を辞し出奔。そこから話ははじまるが、後は読んでもらうのがいいだろう。注意してほしいのは、鶯からはじまり鶸まで、野鳥が多く出てくることだ。読みながら野鳥をチェックしてほしい。私はそうした。

  名奉行の祖父に教はる孫ありぬ草壁総次郎十八なりき

  もの干し竿から靴下右足飛びだしていづくへゆくか青き冬空

  靴下にも冒険したき時がある遠くへ風に乗りてゆくべし

『論語』二三 孔子の言。伯夷・叔斉(殷の時代の兄弟。国をゆずりあい、殷の紂王を討とうとする周の武王をいさめ、仕官せず餓死した精錬の士)「旧悪を念はず」、だから怨まれることも少なかった。

  伯夷・叔斉旧悪を思はず怨み希なりと絶賛するなり孔子先生

『正徹物語』74 兼好が「花はさかりに、月はくまなきのみ見るものかは」というような心根を持った者は世間には他に誰もいない。兼好とは俗体時代の名で、久我か徳大寺か、大臣の諸大夫でいた。官が滝口の侍であったので、禁中の宿直などで常に天皇の傍に仕えた。後宇多院の崩御にともなって遁世。「やさしき発心の因縁なり」。ずいぶんお歌仙であり、頓阿・慶運・静弁・兼好と四天王であった。徒然草は、清少納言の枕草子のようである。

  花、月の風雅を知るは兼好のみ和歌にすぐれて徒然草書く

『伊勢物語』二十四段 昔男、片田舎にすんでいた。宮仕えしにとて三年たった。待ち侘びて、女は、ある男に「今宵あはむ」と契りける日、かの男が戻ってきた。「この戸をあけたまへ」と男はいったが、女は開けずに歌を詠んだ。
・あらたまの年の三年を待ちわびてただ今宵こそ新枕すれ

男は返した。
・梓弓真弓槻弓年を経てわがせしがごとうるはしみせよ

男が去ろうとすると、女は詠んだ。
・梓弓引けど引かねど昔より心は君によりこしものを

とっ言ったけれど男は去った。後を追ったが追いつけない。清水の湧いているところで、女は倒れ伏した。指の血で清水のはたの岩に女は書きつけた。
・あひ思はで離れぬる人をとどめかねわが身は今ぞ消えはてぬめる

女は、そのまま息絶えた。 なんともあわれな話である。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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