朝から晴れ。しかし寒い。東京大空襲から79年、明日は東北大震災から13年、三月は地下鉄サリン事件もあるし、災害・事故・事件が多い。
砂原浩太朗『霜月記』を読む。神山藩三作目。このたびは町奉行家をめぐる話であ る。祖父と孫。孫が十八歳で奉行職を継ぐ。父は奉行を辞し出奔。そこから話ははじまるが、後は読んでもらうのがいいだろう。注意してほしいのは、鶯からはじまり鶸まで、野鳥が多く出てくることだ。読みながら野鳥をチェックしてほしい。私はそうした。
名奉行の祖父に教はる孫ありぬ草壁総次郎十八なりき
もの干し竿から靴下右足飛びだしていづくへゆくか青き冬空
靴下にも冒険したき時がある遠くへ風に乗りてゆくべし
『論語』二三 孔子の言。伯夷・叔斉(殷の時代の兄弟。国をゆずりあい、殷の紂王を討とうとする周の武王をいさめ、仕官せず餓死した精錬の士)「旧悪を念はず」、だから怨まれることも少なかった。
伯夷・叔斉旧悪を思はず怨み希なりと絶賛するなり孔子先生
『正徹物語』74 兼好が「花はさかりに、月はくまなきのみ見るものかは」というような心根を持った者は世間には他に誰もいない。兼好とは俗体時代の名で、久我か徳大寺か、大臣の諸大夫でいた。官が滝口の侍であったので、禁中の宿直などで常に天皇の傍に仕えた。後宇多院の崩御にともなって遁世。「やさしき発心の因縁なり」。ずいぶんお歌仙であり、頓阿・慶運・静弁・兼好と四天王であった。徒然草は、清少納言の枕草子のようである。
花、月の風雅を知るは兼好のみ和歌にすぐれて徒然草書く
『伊勢物語』二十四段 昔男、片田舎にすんでいた。宮仕えしにとて三年たった。待ち侘びて、女は、ある男に「今宵あはむ」と契りける日、かの男が戻ってきた。「この戸をあけたまへ」と男はいったが、女は開けずに歌を詠んだ。
・あらたまの年の三年を待ちわびてただ今宵こそ新枕すれ
男は返した。
・梓弓真弓槻弓年を経てわがせしがごとうるはしみせよ
男が去ろうとすると、女は詠んだ。
・梓弓引けど引かねど昔より心は君によりこしものを
とっ言ったけれど男は去った。後を追ったが追いつけない。清水の湧いているところで、女は倒れ伏した。指の血で清水のはたの岩に女は書きつけた。
・あひ思はで離れぬる人をとどめかねわが身は今ぞ消えはてぬめる
女は、そのまま息絶えた。 なんともあわれな話である。