2024年2月5日(月)

昨日、立春であった。暦の上では春というが、今日は雪になるような寒さである。

  愛媛県産の小さな蜜柑を食べたり小房に分けて甘き汁啜り

  蜜柑のエキスに甘さあり皮剥くときにに匂ひくるなり

  往にし世のわらべも食ひて笑顔になる小さな蜜柑、極上の甘さ

『論語』里仁一四 孔子が言う。「位なきことに(うれ)へず、立つ所以を患ふ。己を知る事莫きを患へず、知らるべきことを為すを求む。」まあ、ごくあたりまえといえば、あたりいまえだ。

  地位を求め、また認められたいと思ふことこれらは駄目だ謙虚であるべし

『正徹物語』40 「ますらを」の「を」は、昔は皆「ちりぬるを」の「を」を書いた。近頃では「うゐのお」の「お」を書く。「女神男神」は、昔から「を」だ。だから「ますらを」で構わない。了俊が書写した物語・和歌の写本でも「ますらを」は「を」を書いています。

  「ますらを」の「を」は「を」であるべし近頃はなぜ「お」と書くか判別し難し

「八代集秀逸」隠岐の後鳥羽院の企画で、定家に撰進させたもの。
・思ひ川絶えず流るる水の泡うたかた人に逢はで消えめや 後撰 伊勢
・あらざらむこの世のほかの思ひ出に今一度の逢ふこともがな 後拾遺 和泉式部
・瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ 詞花 崇徳院
・嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なる我が涙かな 千載 円位法師
・きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣方敷き独りかも寝む 新古今 良経

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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