2024年2月11日(日)

紀元節であり、折口信夫の誕生日だ。生誕137年である。天気はいい。

夕べ、泉鏡花『外科室・天守物語』(新潮文庫)を読んだ。他に「化鳥」「霰ふる」「高桟敷」「二三羽―十二三羽」「絵本の春」「縷紅新草」が入っている。生と死、幽界とこの世の境を行くようで楽しい、愉しい読書であった。

  ぼんぼんぼろんぼんぼろん朱の盤あまた鳴らして山伏

  泉鏡花の真か不可思議な小説をねぶるやうに読む如月はじめ

  浮草は思案のほかの誘い水勺してうれし一献二献

『論語』里仁二〇 孔子の言。「三年、父の道を改むること無きを、孝と謂ふべし。」
父が死んで三年、そのやり方を変えないのが孝行だというが、そうなのだろうか。たった三年と思うのは、私だけだろうか。

  父死して三年のあひだやり方を変へねば孝かたやすく思ふが

『正徹物語』46 鶴殿こと内大臣基家は、光明峯寺殿道家の子どもである。いまの月輪殿の先祖である。鶴殿は続古今集の撰者である。正徹の蘊蓄の一つかな。

  鶴殿は光明峯寺殿の子なりけり月輪基賢の先祖に候

「百人一首」藤原定家撰 前半
・田子の浦に打ち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ 山辺赤人
・花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに 小野小町
・小倉山峰のもみぢ葉心あらば今一度のみゆき待たなむ 藤原忠平
・人はいさ心も知らず古里は花ぞ昔の香ににほひける 紀貫之

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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