2024年2月1日(木)

今日から二月、如月だ。
昨日、片山杜秀『歴史は予言する』(新潮新書)を読み終えた。週刊新潮に連載している「夏裘冬扇」(かきゅうとうせん)を一冊にまとめたものだ。

  片山杜秀のコラム・エッセイに読み耽る音楽・芸能に堪能なりき

  歴史から読みとる未来 明治から大正、昭和へ自在なり筆致は

  「夏裘冬扇」題たのし季節外れを綴るエッセイ

『論語』里仁一〇 孔子が言った。「君子の天下に於けるや、適も無く、莫も無し。」ただ「義にこれ与に比しむ。」さからうことも、愛着することもない。ただ正義に親しむ。なるほどねぇ。

  君子が天下に於けるは「適」もなく「莫」もなし「義」これに親しむ

『正徹物語』36 「かこちがほ」「うらみがほ」は嫌味で気障な語である。「ぬるるがほ」は、今も詠んでいい語であり、「しらずがほ」も差し支えない。
折々は思ふ心もみゆらんをうたてや人のしらずがほなる
『玉葉和歌集』第一の名歌であり、本当に興趣を覚えるらしい。
「かこちがほ」「うらみがほ」は悪くして「ぬるるがほ」「しらずがほ」よきはなにゆゑならむ
「前十五番歌合」藤原公任(『王朝秀歌選』)
・世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 業平
・色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞ有りける 小野小町

「後十五番歌合」藤原公任
・暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月 和泉式部
・いにしへの奈良の都の八重桜今日九重に匂ひぬるかな 伊勢大輔
・木の下を住処とすればおのづから花見る人となりぬべきか

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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