2024年12月23日(月)

快晴。

四方田犬彦『わたしの神聖なる女友だち』を読む。四方田の刊行する本を必ず読んでいた若い時代があったが、いつからかほとんど読まなくなった。久しぶりの四方田犬彦である。軽快な文章が四方田のものだが、この「女友だち」との稀有のつきあいの暴露は、人生週末を意識したものように思える。あの若かった四方田も七十を越したようだ。私は六十八、そう変わるわけではないが。

  出雲国松江の城に松平不昧がたてる茶を喫したり

  不昧公に育てられたる和菓子文化松枝はどこか落着きのある

  松江城をめぐる掘割の深き水小泉八雲もめぐりたりしか

『論語』憲問一四 孔子問ふ「公叔文子を公明賈に問ひて曰く、信なるか。夫子の言

はず、笑はず、取らざること。公明賈対へて曰く、「以て告す者の過ちなり。夫子、時にして然る後に言ふ、人其の言ふことを厭はざるなり。楽しみて然る後に笑ふ、人其の笑ふことを厭はざるなり。義にして然る後に取る、人其の取ることを厭はざるなり。孔子曰く「其れ然り。豈に其れ然らんや。」

  公叔文士を公明賈に問ふ孔子にて其れ然り豈に其れ然らんや

  『古事記歌謡』蓮田善明訳 二 ヤチホコノ神

  八千矛の 神の命は       八千矛の神の命ぞ

  八島国 妻求ぎかねて      八島国こそ広けれど 気に添う妻を求めかね

  遠遠し 高志の国に       遠い遠い越国に

  賢し女を ありと聞かして    賢いおとめがあると聞き

  麗し女を ありと聞こして    美しいおとめがあると聞き

  さ婚ひに 在り立たし      いくたび会いに来たことか

  婚ひに 在り通はせ       いくたびも来ては立つことか

  太刀が緒も 未だ解かずて    太刀の緒紐をまだ解かず

  襲をも 未だ解かねば      忍びの衣もまだ解かず

  処女の 寝すや板戸に      閨の板戸をがたがたと

  押そぶらひ わが立たせれば   押して夜すがらわが立てば

  引こづらひ わが立たせれば   引いて夜すがらわが立てば

  青山に 鵼は鳴き        青山に鳴く鵼鳥の 声に心も身もわびし

  さ野つ鳥 雉は響む       はては雉らが野らで鳴き

  庭つ鳥 鶏は鳴く        はては庭べで鶏が鳴く

  慨たくも 鳴くなる鳥か   ええ 夜も明け方に近づくか 恨めしく鳴くこの鳥め

  この鳥も 打ち止め臥せね    とめてやろうか息の根を

  いしたふや 天馳使       心焦がるるこの歌は 心も空に飛ぶ思い

  事の 語り言も 此をば     聞かせてやりたい かのひとへ

  八千矛の神の命は遠どおし高志の沼河比売恋ふ

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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