2024年12月14日(土)

大きな雲はあるが、まあいい天気だ。

ハン・ガンさんの『すべての、白いものたち』斎藤真理子訳で読んだ。散文詩のようだが、つなぎ合わせると、やはり小説だ。生れてすぐに亡くなった姉、さらにワルシャワの街のナチスに滅ぼされる歴史など、あれこれ目に飛び込んできて興味ぶかいのだ。

  白く笑ひわが恋人と(わ)(か)れゆくこのさびしさを忘れがたしも

  ほうじ茶を飲み干してこの茶碗ちゃかぽこちゃかぽこ金属の音

  沈黙を固め凝らす将兵のたたずむごとし城砦の門

『論語』憲問五 孔子曰く「徳ある者は必ず言あり。言ある者は必ずしも徳あらず。仁者は必ず勇あり。勇者は必ずしも仁あらず。」

なるほど、なるほど、ありがちだなあ。よい言葉のある人には必ずしも徳はない。勇敢な人に仁があるとは限らないのだ。

  徳なればよき言ありぬ仁者なれば必ず勇あり(ことはり)のごとし

『春秋の花』 中野重治
・日本の文学世界は混沌としてるように見えるけれども、それを貫く社会的論理の糸は途絶えてはいない。見失われることはあろうが、カオスのなかからも糸口は拾い上げられるのだ。 エッセイ「閏二月二十九日」(1936)の断章。このああとに、「そして社会生活の論理の糸は文学批評の論理の糸をいっそう弾力のあるものにしずにはいないと思う。」という言葉が続いている。「二・二六事件」勃発直後、これを中野は書いた。〝あまりにカオスのなかからも糸口は拾い上げられる〟のであり、私たちは力を立てて「拾い上げ」なければならぬのである。
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・空のすみゅき/鳥のとび/山の柿の実/野の垂り穂/それにもまして/あさあさの/つめたき霧に/肌ふれよ/ほほ むね せなか/わきまでも  詩「十月」

  二・二六事件の後に渾沌のあれば論理の糸つむぎをり

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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