2024年11月30日(土)

晴れ。十一月最後の日だ。

山折哲雄『辞世の作法』を読む。いろいろ参考になる話柄もあるが、説教をされているような感じがあって、なじめないのだが、おもしろかった。ひとつは阿久悠の作詞で森進一の歌った『北の蛍』について、もう一つは鷗外の晩年の「空車」。ともに本の最後のあたりだが。

  いまもまだ小春日和といふものか今日の陽気はこの語にふさふ

  空を飛び青空のかなたの白雲にまぎれて飛べる白鷺が見ゆ

  さくら紅葉の風にとばされ路上には枯れ葉紅葉葉あまた落ち敷く

『論語』子路二二 孔子曰く「南人、言えること有り。曰く『人にして恒なくんば、

以て巫医を作すべからず』と。善いかな。『其の徳を恒にせざれば、或ひはこれに羞を承めん。』」孔子曰く「占わざるのみ。」

  南人のことばを意味のある事と孔子のたまふ占ふまでもなし

『春秋の花』 島木赤彦
・都の空師走に入りて曇り多し心疲れて障子をひらく 『氷魚』(1920)所収「二階」
・人の家の二階一と室に物を書く冬の日数の久しくなりぬ

冒頭作がこれだから「心疲れ」は主に執筆の疲労であろうか。「心疲れて障子をひらく」は、たいそう巧者な表現である…
・障子あけて昨日の朝も今日の朝も遠くながむる春さりにけり
  *
・この朝け道のくぼみに残りたる春べの霜を踏みて別れし

  物を書く疲れありけむ東京の空のした島木赤彦のため息

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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