2024年11月28日(木)

いい天気だ。

  わがからだに綻びのあることを誇る老い人を蔑する視線ありけり

  桜木の若き枝より散り落つる枯れ葉の色のうつくしかりき

  桜葉の落葉を踏みてたのしもよ子らに雑じりて葉を踏みつぶす

『論語』子路二〇 子貢、問ひて曰く「如何なるをか斯れこれを士と謂ふべき。」孔子曰く「己れを行なふに恥あり。四方に使ひして君命を辱しめざる、士と謂ふべし。」

子貢曰く「敢て其の次を問う。」孔子曰く「宗族孝を称し、郷党弟を称す。」子貢曰く「敢て其の次を問ふ。」孔子曰く「言必ず信、行必ず果、硜硜然たる小人(こちこちの小人)なるかな。抑々亦以て次を為すべし。」子路曰く「今の政に従ふ者は如何。」

孔子曰く「噫、斗筲の人、何ぞ算ふるに足らん。」

  子路の問ひしつこかれども丁寧に孔子応ふる政治の善し悪し

『春秋の花』 木下利玄
・街をゆき子供の傍を通る時蜜柑の香せり冬がまた来る 『紅玉』(1919)所収。

木下利玄の仕事が私に感ぜしめる特長の主な一つは感官の際立って澄明な働きである。視覚については言うも愚か…。掲出歌は嗅覚の際立って澄明…
・灯をもてば廊下のてりの足下にひややかなれやまだ宵あさく(『紅玉』)
・着物の下に手をやりてみれば亡せし子の肌には未だぬくみたもてり
この二首は、触覚。
・森ふかみ地に落ちきたる硬き実の枝葉にあたる音はやきかも
・この峡にわれ一人なり近くにてほそぼそ澄めるせせらぎの音 『一路』(1924)

これらは聴覚。しかし、味覚に基づいた作品はないようである。

  かさりこそり欅落葉を踏みしだくこの公園のあかるきところ

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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