2024年11月22日(金)

良い天気である。

  妻が淹れし珈琲の香のたちのぼるキッチンを通るときの華やぎ

猿田彦の
カフェラテすすりベランダに国見したりき野の果てを見き

  野の果てに大山連山つらなりてところどころに紅葉も見ゆ

『論語』子路一四 冉子、朝より退く。孔子が言ふ「なんぞ晏きや。」冉子、対へて曰く、「政あり。」孔子が言ふ「其れ事ならん。如し政あらば、吾れを以いずと雖ども、吾れ其れこれを与り聞かん。」

  政務あれば吾れをば呼ばむ事務なれば冉子ひとりで対処するべし

『春夏の花』 秋山清
・おれが死ねば君がいうらむ君が死んでおのれが言うのだ、死んだ奴はバカよ
       秋山清歌集『冬芽』(1984)所収。敗戦後の歌。
・朝となりて白く流るる光あり夜見し夢の今はかたもなし
・又右衛門は輸卒となりて支那事変の初端にたりと墓石大いなり
吉本隆明が一九六〇年代に「日本の詩的抵抗の最高の達成」(『抵抗詩』と評価した仕事(『白い花』、『おやしらず』他)をしていた。
  *
一九二一年三月十八日/夜はチェカが無数の銃殺をあえてして、/クロンスタットの反逆は血潮のなかに鎮圧された。/反革命の名に死んだ自由と解放の友よ。/その敗北よ。/わがクロンタット。(一九三四年作詩『クロンスタットの敗北』終節。

  いつの世もさきに死ねばか敬したるおれがいふ死んだ奴はバカだよ

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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