2024年1月5日(金)

まあまあの日だ。昼間は冬の長い日差しがある。
中野孝次『本阿弥行状記』を読む。江戸初期、京の鷹ヶ峰に活動した光悦とその一族の清貧の姿を活写した光甫の「行状記」を筆記した娘が語るという小説である。本阿弥光悦を好むものとしては嬉しい小説である。

  西風に煽られて動くわがからだ老いなれば痩せ貧弱きはまる

  強風はわれらをなぶる木をなぶる枯れ枝なぶる川までの径

  天上に大風あれば雲もなしこの青天の心地よきかな

*昨日の強風を
『論語』八佾九 孔子の言だ。夏の国の礼については話すことができる。しかしその子孫である杞では証拠が足りない。殷の礼については語ることができるが、その子孫の宋の礼は証拠が足りない。文献が足りないからだが、足りればこれを証拠に私も語るだろう。

  文献の足らざればその国の礼語れず足らばすなはちよく語らむか

『正徹物語』9 万葉集の注釈書についてである。万葉集の講釈を大教院慈澄僧正のもとで拝聴したが、その聞書きを今熊野の庵で焼いてしまった。仙覚の著、万葉集註釈と新註釈があり、由阿の詞林采葉がある。新注釈が万葉集を読む時に役立つ。

  万葉集を読む時たいさう役に立つ仙覚あらはす新注釈を

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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