2024年1月4日(木)

三が日が終った。夏生んとこも沙耶んとこも二日、三日に来て賑やかであった。箱根駅伝では國學院大學は五位、一、二年生が活躍した。来年が楽しみだ。
今日は、日の出の時間雲が厚かった。やがて太陽が出るて暖かくなる。

  この世のことおほかた忘れ土中より這ひだしてくる蟾蜍(ひき)のごとくに

  われもまた冬眠をする生き物かしづかにしづかに時過ごしけり

  朝に三錠薬を服しこの世から去り難くゐる老い人われが

『論語』八佾八 なんだか面白い章段だ。子夏が「巧笑(せん)たり、美目(はん)たり、素以て絢を為す」(『詩経』)とは、どういう意味かと問うた。孔子が答えた。絵の事は素を後にする。子夏が言う。「ということは礼は後か」。そうすると「子夏(商)よ始めて与に詩を語るべき。」子夏が『詩経』への目を開いたということか。

  わが詩魂を啓発するは子夏ならむともに語らむ『詩経』のあれこれ

『正徹物語』8 各季節最初の題が当たると詠むのを遠慮する人がいるが、それはあってはならない。配慮が必要なのは立春だけだ。百首歌の巻頭は、その場の最も身分の高いものに譲るべきだが、「ただ季の廿首、卅首の題をさぐる時は、誰も詠むべきなり。」まあ、歌会の心得のような章段かな。

  歌会の季節の題は遠慮するな誰しもが受けねばならぬ役なり

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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