寒いがいい天気だ。
堀田善衛『若き日の詩人たちの肖像』上・下(集英社文庫)読み終わる。凄い、熱い、惨い、そしてわくわくする。堀田善衛が「若者」「男」として、戦前、戦中時代がえがかれる。左翼に近いところで留置体験があったり、最後は招集される。日本の戦中を応召するまで、この時代を生きた詩人たちとともに権力に抗したり、肯定したりあれこれ語られる。最後の方で、鴨長明や藤原定家や「乱世」への思いが語られ、この国の戦争の時代への批判があり、その後の堀田善衛につづく話柄もある。ちなみに「白柳君」は白井浩司、「浜町鮫町君」は村次郎、「赤鬼君」は加藤道夫、「澄江君」が芥川比呂志、「良き調和の翳」が鮎川信夫、「冬の皇帝」が田村隆一、「ルナ」が中桐雅夫、「富士君」が中村真一郎、「ドクトル」が加藤周一だったりして、たしかにこの時代の詩人たちの肖像なのだ。
セクシャルなことも赤裸々にしるしたり「若者」「男」この暴れん坊
ぷくりぷくり乳房のたかぶり淫楽のはてに誘ふ小説である
時を経てなほもかがやく戦中の詩人たちの肖像わが生を打つ
『論語』里仁二 不仁者はいつまでも苦しい生活にはおれないし、長く安楽な生活におれない。「仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。」
不仁者と仁者・知者との違ひ言ふ孔子明瞭なり「仁」こそ肝要
『正徹物語』28 長綱百首を為家が判じた。「太郎と呼べば、次郎が頸に乗りて出づるなり」と言った。「題をばさしおきて」その他のことを詠むことを咎めた。「歌は題にむかひて相違なければ、くるしからぬなり。」
この時代の歌にとりては題が大事題にたがはず詠むべきものを
『定家八代抄』賀歌、哀傷歌
・めづらしき光さしそふ盃は望ながらこそ千代もめぐらめ 紫式部
・桜花散りかひ曇れ老いらくの来むといふなる道まがふがに 業平
・あはれなり我が身の果てや浅緑つひには野辺の霞と思へば 小町
・世の中は夢か現つかうつつとも夢とも知らず有りて無ければ よみ人しらず
・つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを 業平朝臣