2024年1月21日(日)

朝から冷たい雨が降っている。山際では雪だという。午後には晴れる。

  近眼、遠視(こん)ずる眼鏡を卓上に外して置けば動きはじめる

  わが眼鏡かつてにごそごそ動くらし深夜の卓上を左へ右へ

  卓上に痕跡のこるわが眼鏡遠いところに留金がある

『論語』八佾二五 孔子先生が韶の音楽を批評された。「美を尽くせり、また善を尽くせり。」また武の音楽を批評した。「美を尽くせり、未だ善を尽くさず。」韶の音楽とは堯から位を譲られた舜の音楽であり、武の音楽とは、殷の紂王を伐った武王の音楽である。批判もっとも。

  平和裏に受けつぐ(しょう)の音楽の美善ととのふその佳さを説く

『正徹物語』25 人に「吉野山はいづれの国ぞ」と問われたら「花には吉野山、紅葉には竜田を詠む、だから伊勢か日向か分からない」と答えるのがよい。どこの国にあるかという知識は覚えても役立たないことがある。吉野山の場合、自然に大和国にあると知るはずだ。

  さくら花は吉野の山なりおのづから大和国に存すとぞ知る

『定家八代抄』(岩波文庫)の上を読む。古今和歌集から新古今和歌集の八代の勅撰集から定家が秀歌を選んだものの上巻833首をざっと読んだ。この中からさらに秀歌をと思うのだが、やたら数が多い。春の上下から五首ほどを選んでおく。
 ・ほのぼのと春こそ空にきにけらし天の香具山霞たなびく 新古今 後鳥羽院
 ・うすくこき野辺のみどりの若草に跡までみゆる雪のむら消え 新古今 宮内卿
 ・古郷となりにし奈良の都にも色はかはらずはなさきにけり 古今 平城天皇
 ・いくとせの春に心をつくしきぬあはれと思へみ吉野のはな 新古今 俊成
 ・はかなくて過ぎにし方を数ふれば花にもの思ふ春ぞへにける 新古今 式子内親王ですかね。秀歌はたくさんあるのだが、とりあえずこれだけを上げておく。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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