2024年1月16日(火)

良い天気だが、今日は寒いそうだ。困ったもんだ。

  憂鬱なりこの国の未来を想ふときジンタ、ジンタッタ楽団がゆく

片山杜秀『歴史は予言する』(新潮新書)を読みはじめた。

世の中にはもの知り人があまたゐるたとへば片山杜秀の如

おつかなびつくりくらやみをゆくおいほれのゆくすゑとへば便所(トイレ)とこたふ

『論語』八佾二〇 孔子が言う。「関雎(かんしょ)は楽しみて淫せず、哀しみて傷らず」だね。
関雎は、『詩経』周南の最初の篇名。『詩経』は、孔子が選したともいい、孔子の愛するものである。

  『詩経』の関雎は楽しみて淫するなく哀しむときも(やぶ)ることなし

『正徹物語』20 いわば正徹の自讃。
・森の葉も秋にやあはん鳴く蟬の梢の露の身をかへぬとて
「晩夏の蟬」の題にこの歌をつくった。この歌も前段と同じく句を残す歌である。ここでは、「身をかへぬとて幾程かあらん、たのむぞはかなき」という一句を残す。その上で「森の葉も」の「も」が重要である。だから「かへぬとて」になるのだ。

  森の葉も秋にしなれば身をかへぬ幾程あらむたのむぞはかなき

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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