2024年1月13日(土)

よく晴れている。このところ冬の麦茶を薬缶に沸かしている。

  茶碗にはほのぼの湯気の立ちのぼる冬の麦茶の芳しきもの

  冬の麦茶かんばしくして沸かしたり薬缶が踊る、叫ぶミネラル

  麦茶喫ししばしを過ごすなにげなさこの無為こそが至福のときなり

『王朝秀歌選』(岩波文庫)をざっと読む。藤原公任選「前十五番歌合」、「後十五番歌合」、「三十六人撰」、藤原俊成「俊成三十六人歌合」、隠岐に流された後鳥羽院の意思を汲んで藤原定家の撰になる「八代集秀逸」、後鳥羽院撰「時代不動歌合」、定家撰「百人秀歌」、「百人一首」が入っている。歌は重なりつつもなかなか興味深い。万葉時代の歌がよいと思うのは偏見であろうか。
『論語』八佾一七 子貢が告朔の礼にその生贄の羊を辞めようとした。そこで孔子は言った。私はその礼が惜しい。羊の生贄だけでも続ければまた礼の復活もあるだろう。子貢よ汝は羊を惜しむ我は而してその礼を惜しむ。」さすが孔子先生だ。

  生贄の羊を惜しむ子貢に向き孔子は礼を惜しむと言へり

『正徹物語』17 或所の歌会に為尹(ためまさ)が「契絶恋」という題に、次のような歌を出した。

かけてうき磯松がねのあだ浪はわが身にかへる袖のうらかぜ

出席者は負と判じたが、正徹のみ「『かけてうき』といえるこそ契りたるにて、『わが身にかへる』が作者の骨を折ったところだ。」「これをだに心えざらんは沙汰の限りにあらず」と言って難じた。それを聞いて了俊(為尹の後見、正徹の師)が「ありありて、落涙」「げにさにて侍り」と勝になった。その後、為尹にももてなされた。「臍にとほりてさかひにいたらざる人は、人の歌をみる事もかたきなり。」なるほど、ですね。

  臍にとほりていたらざる人ほか人の歌読むことも叶はざりけり

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA