2024年9月1日(日)

台風10号の、遠い影響で雨。

関東大震災から101年。朝鮮人、左翼への迫害、殺戮忘れてはならないことの一つである。

降ったり止んだりの、止んだ時を選んでほんの少し歩いた。ところが歩きはじめるとすぐに雨が来た。あわてて帰還。

  歩きゆく路に小柱ならび立つ人のごときか雨にかすみて

  明けのからすが彼方此方に叫び鳴くやかまし、やかましここは異界

  蛇口よりしたたる水の少しだけ冷たく感ず秋近づきぬ

『論語』先進一五 孔子が言う。「由の瑟(しつ。大琴)は、丘(孔子)のところではなあと言ったので、門人たちは子路を敬せず。」そこで孔子が言った。「由や堂に升れり。未だ室に入らざるなり。」

子路の学問は、いま一歩を残してはいるが、すでに抜群であることにたとえて、門人たちの不敬をいましめた。

  子路のことを貶すやうなることを言ふ孔子さにあらず子路ほめたる

『春秋の花』 島崎藤村
・時は暮れゆく春よりぞ
また短きはなかるらん
恨は友の別れより
さらに長きはなかるらん 詩集『夏草』(1898)所収。「晩春の別離」の第一節。
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十五年戦争中の1939年公開、村山知義演出。映画『初恋』の主人公野々村潔が『晩春の別離』を数節朗誦する場面は印象的であった。

「あぁいつかまた相逢ふて/もとの契りをあたためむ/梅も桜も散りはてて/すでに柳は深みどり/人はあかねど行く春を/いつまでここにとどむべき/われに惜むな家づとの/一枝の筆の花の色香を」その最終節。
ちなみに岩下志麻は、野々村潔の息女だそうだ。
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「わが手に植ゑし白菊の/おのづからなる時くれば/一もと花の(ゆふ)(ぐれ)に/秋に隠れて窓にさくなり」(詩「えにし」)

  いつかまたここに逢ふべきと思へども友いまはなし涙ぐみたり

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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