2024年5月22日(水)

朝から晴れ。なかなかいい日だ。リハビリ。

  郷ひろみのバラードを聴く「さよなら哀愁」せつなかりけり

  われにまだ恋する心ありしかも郷ひろみうたふ「さよなら哀愁」

  わたしより一歳上のはずである郷ひろみまだまだからだ動く

『論語』述而三四 孔子の病が重かった。子路はお祈りしたいと願った。孔子が「そういうことが有ったか。」というと、子路は答えて、「有ります。誄のことばに『なんじのことを天地の神々に祈る。』とみえます。」と言った。孔子は、「自分のお祈りは久しいことだ。」

  珍しく孔子病の重ければ天地の神に祈らむものを

『正徹物語』142 何であろうか「源氏物語では、作中の和歌は本歌に取らないで、物語の内容を取る」と書いてあったと思うが、実際は和歌も多く取っている。「思ふかたより風や吹くらん(恋ひわびて音にまがふ浦浪は 源氏物語須磨巻・光)」とあるのを、定家は、
・袖にふけさぞな旅ねの夢もみじ思ふかたよりかよふ浦風 新古今980

と、詠んでいる。「袖にふけ」とは、願っている。旅寝では寝られないので、せめて自分の恋しく思う方角から風が袖に吹け、というのだ。

  旅寝には夢にもみぢの散るばかりせめて恋ひしき人よ風吹け

『伊勢物語』九十二段 恋しい女の家のあたりに、たびたびやってくる男がいた。けれど逢うことはかなわない。手紙を渡すこともできない。その男が詠んだ。
・蘆辺こぐ棚なし小舟いくそたび行きかへるらむ知る人もみな

ちょっと可哀そうではあるが。

  いくたびも棚なし小舟を漕ぎだしてゆくへも知らぬ君ならなくに

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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