2023年11月23日 新嘗(にいなめ)祭の日だ。

今日も晴天だが、南方に秋の雲がある。新嘗祭の日だから晴れるのだろうか。20℃になるとか。

  けやきの木、葉のしよぼしよぼが風に揺れ、遠くまで飛ぶ。その枯葉たち

  秋の木の枯葉のたまる欅への小径かさかさこそりと足裏たぬし

  病むからすほがらほがらに西へ(き)神々(かうがう)しきよ夕照りの山

『論語』一〇 子禽が子貢にたずねた「うちの先生(孔子)はどこの国へいっても政治の相談を受けるけれど、それは先生が望んでのことでしょうか」子貢が答えた。「孔子先生は温良恭倹(おんりょうきょうけん)(じやう)だ。だから相手の望むことを相談する。先生の求めかたは、他人の求めかたと違うらしい。」
子貢は、孔子の門人。孔子より31歳若い。
『徒然草』210段 呼子鳥がどのような鳥か明瞭にしめした文献がない。真言の行法についての書物には招魂の法の次第に書いてある。しかし、これは鵺である。万葉集の長歌に「霞み立つ長き春日の…ぬえこどり」と続けている。そうすると鵺鳥も呼子鳥の様子に似通っているように思える。

  呼子鳥の正体しれず書物には鵺のこととか書かれてゐるが

211段 「よろづのことは頼むべからず(あらゆることは、あてにできない)「人は天地の霊なり。天地限る所なし。人の性なんぞ異ならん。寛大にして極まらざる時は、喜怒これに障らずして、物のために煩うはず。」

  「人は天地の霊なり」と断乎断言したる兼好ぞよき

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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