いい天気だ。昨日より暖かい。
卓上に蜜柑ひとつが置かれたりしばし思ふは恥、悔い、怒り
佐賀産のみかんの甘さ口中に頬ばるときのセンチメンタル
行き暮れてゆくへ失ふ老年の尾につながるか欲、涙、悲哀
ベランダにころがる束子よくみれば土竜のやうなり毛並みきらめく
大江健三郎の最後のエッセイ『親密な手紙』(岩波新書)を読む。こんな文言に示唆を受ける。「次の世代がこの世界に生きうることを妨害しない、という本質的なもののモラル」こそいま大切だ。「この特別な音楽家は芸術上のプロジェクトになかば生物的な駆動力を持ち込んでいて、多くの文脈、経験、声、衝動が対位法のような網のなかに集約されていくのが感じられる。」、「もう老人の知恵などは/聞きたくない、むしろ老人の愚行が聞きたい/不安と狂気に対する老人の恐怖心が」これはエリオットの詩か。まだ色々あるのだが、読んでくれたまえ。
というわけで、長くなったので『論語』『徒然草』は、おやすみです。
なかなかに歌に収まらぬ大江健三郎現代の歌をいかに見てゐし