2022年6月17日(金)

薄曇りがつづき、じめじめとしいている。雨はふらないが、梅雨なんだな。

森鷗外『大塩平八郎』(岩波文庫新版)読了。「護持院原の仇討」、表題作、「堺事件」、「安井夫人」の四編の歴史小説が収められている。いずれも既読のものだが、あらためて、その明朗な文体に感心。「平八郎の思想は未だ醒覚せざる社会主義である。」「平八郎は哲学者である。しかしその良知の哲学からは、頼もしい社会政策も生れず、恐ろしい社会主義も出なかったのである。」(「大塩平八郎」附録)

また、「堺事件」からは、切腹の一番手になった箕浦猪之吉の辞世の詩を記憶しておきたい。「妖氛(ようふん)除却(じょきゃく)して国恩に答ふるに/決然 ()(じん)(げん)を省みる()けんや。/()だ大義をして千載に伝へしめば/一死 元来 論ずるに足らず。」最後の武士の潔さであろう。

大塩平八郎の乱の粗さゆゑか覚醒せぬ社会主義と森鷗外説く

文体の平明をこそ鷗外の歴史小説ここち良きなり

「一死、元来 論ずるに足らず」箕浦猪之吉辞世の詩なり

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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