2022年5月24日(火)

上原和『斑鳩の白い道のうえに』の講談社学術文庫版を読んだ。1975年の初刊本を学生時代に読んでいる。朝日新聞の「天声人語」の深代惇郎の絶筆も読んだ。しかし50年近く経って再び読んでみると、聖徳太子の「血塗られし手」やその「捨身の思想」のみではなく、建築史や美術史の学術的な見解が詳細・緻密に述べられていて、なかなかに読みでがあった。時間もかかった。

梅原猛は解説で「青春の書」とこの本を呼ぶ。上原も1924年生まれの学徒出陣組の戦中派であったことをあらためて知り、上原の青春がいかなるものだったかをあらためて納得。だから文章が熱いのだ。梅原もまた戦中派である。楽しく、厳しく、心躍る、充実した読書であった。わが青春の書でもあるのだ。そして池田克己の詩「法隆寺土塀」を思う。また法隆寺を訪ねたいものだ。

法隆寺をはじめて訪ねたときの記憶をたどる。

斑鳩のま夏の乾く道のうへ遠く五重塔を視てゐつ

となりにはまだ若かりし父がゐて搭のいただきを指さしにけり

昨夜はむすめがわが家に立ち寄った。

夜の道をむすめを送り妻とゆく三人のドライブすこしたのしき

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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