2022年5月13日(金)

録画してあった三島由紀夫に関する二本のNHKのドキュメンタリーを観る。川端康成との軋轢を描いたものと三島事件の日を検討したもの。どちらも多くは知っていることだが、おもしろかった。こんなことばが拾われている。「英雄として死ぬか、文豪として死ぬか」。川端がノーベル文学賞を取ることによって三島は英雄の死を選んだ。そして、これはドキュメンタリーの主張ではないが、1970年の三島の死は、25年後の殉死ではなかったか。昭和天皇にではない。きわめて抽象的な日本の伝統と文化への殉死。そう考えると少しだけだが、分かったような気になるのだが……

三島由紀夫その死の謎をいくたびもいくたびも問ふ「殉死」あるべし

川端と三島にありし確執をおもへば人は他愛なきもの

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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