26年前の3月20日未明、今泉重子さんが自裁した。半年前にクモ膜下出血のため亡くなった恋人の後を追った。重子さん27歳。若い死であった。重子さんもその婚約者もわたしの親しい歌友であった。重子は「かさね」と読む。そのお父さんの命名である。芭蕉の『奥の細道』に同行した河合曽良の「重とは八重撫子の名なるべし」を踏まえた愛嬢への命名であった。それにちなんで今日を「なでしこ忌」とする。
生きてあらば五十路のきみと茶を喫すほのぼのとした春もあるべし
木蘭の花咲く枝を仰ぎをりああ若き日のままにきみは笑ふ
26年前の3月20日未明、今泉重子さんが自裁した。半年前にクモ膜下出血のため亡くなった恋人の後を追った。重子さん27歳。若い死であった。重子さんもその婚約者もわたしの親しい歌友であった。重子は「かさね」と読む。そのお父さんの命名である。芭蕉の『奥の細道』に同行した河合曽良の「重とは八重撫子の名なるべし」を踏まえた愛嬢への命名であった。それにちなんで今日を「なでしこ忌」とする。
生きてあらば五十路のきみと茶を喫すほのぼのとした春もあるべし
木蘭の花咲く枝を仰ぎをりああ若き日のままにきみは笑ふ