2022年1月7日(金)

奈良旅二日目。長谷寺へ。駅からこんなに階段を下らなければならなかったか。記憶が失せていた。そして帰りにはその階段を上ることになる。しかも寒い。しかし本堂では勤行がはじまり、なかなか感動的な時間との出会いがありました。長谷観音の大きさ、やさしい表情に包まれるようでもありました。

長谷寺へ駅からこんなに階段をくだりしかとんと記憶失ふ

さういへばさうだつたかとかはらざる與喜山暖林にむかへば憶ふ

勤行の太鼓の音のひびきあり本堂へむかふ長谷寺回廊

いくたりの平安をとめもひざまずくその黄金の頬笑みのまへ

長谷寺の観音像につかへたる雨宝童子の赤きくちびる

ぼたん花は藁につつまれひつそりと白き花咲かす初瀬(はつせ)(かひ)

参道のいつもの店に草餅をほほばりて笑ふ媼と翁

駅までの階段をはあはあ息をつぎながら辿りかえし、桜井へ。安倍文殊院、そして桜井市図書館、等彌神社へ。安倍文珠院の変貌には驚いた。それ以上は言うまい。そして今、わたしの腕にはドーマンセーマンの念珠がある。もちろんプラスチック製のまがい物だが。

安倍文珠院西古墳

古墳(ふるつか)の石室内部に灯をともし()にし世もさう遠くはあらず

等彌神社

鳥見山に靈畤(まつりのには)を立てたりし磐余彦(いはれびこの)(みこと)ここに祈れり

夕刻、この旅のもう一つの目的である旧友に会う。奈良国立博物館の館長である。高校時代以来の数少ない友人。奈良の酒に酔うて談論風発、快なり。

わが朋に会はむときたる奈良の夜ならの酒飲むこの酒やよし

快なり、快なり。

年明くる奈良の町にはどことなくほっと息するやさしさがある

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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